京都市東山区にある日昇館尚心亭は1945年に創業した旅館であり、主に修学旅行の利用客が多い。人材不足という理由から1992年に7人の障がい者を雇用し始め、今では16名の知的障がい者が働いている。重度判定を受けた障がい者は15名であり、平均年齢は30歳。そのうち2名は雇用がスタートした26年前から働いている。旅館での仕事は、朝食配膳の手伝い、パン焼き、清掃(掃除機かけ、トイレ・お風呂の水回り)、客室のベッドメイク、リネン交換、浴衣・タオル等の交換、チェックアウト後の片付け、アメニティセットづくり等、多岐にわたるが、ほとんどの仕事を彼らが担っている。昔はすべて障がいのないスタッフが担っていたが、今では4名のパートさんが指示出しや指導、点検をするという役割に変わり、実際に体を動かして働くのは障がいのある人である。「私は(障がい者)手帳を持っているから、これだけ(の仕事)でいいという気持ちはダメだと思っている。手帳があるけど、ここまで出来るんだと向上心があり、一生懸命頑張る人はどれだけ重度でも受け入れたい」と熱く語るのは女将である野村氏。
1997年には、日昇館の奥座敷として経営していた東別館を京都市に指定寄付し、知的障がい者の授産施設及びデイサービス等の社会福祉法人菊鉾会テンダーハウスを開所した。現在、女将が理事長を務めているテンダーハウスでは、生活介護、ケアホーム、就労移行支援と就労継続支援B型(多機能型)のサービスが提供されている。日昇館尚心亭との交流も定期的にされており、リネン類のクリーニングやテンダーハウスからの実習を定期的に受け入れている。
彼らの仕事は女将の朝礼からスタートする。パートさんが彼らの体温と体調をチェックし、健康面を確認する。当日の宿泊客、やること、注意すべき点、各自の得意、不得意、相性、スキル等を頭におき各階への配置の指示を受ける。2人で1人分の仕事量のときもあるが、いろいろな仕事ができ、戦力としてとても助かっているそうだ。野村氏は自ら「私はとても厳しい」と言う。「いくらしんどくても、社会人として仕事はがんばらないといけない。仕事をする時間には仕事をする。やることをやった後は、休憩していてもいい。」彼らは曖昧だと理解できないことがあるので、こちらで仕事と仕事でないことの線引きをして、メリハリを付けてあげることも必要である。
今では、組織として障がい者を受け入れ、障がいのない社員が自然に彼らのフォローに回っているが、雇用を始めるときは受け入れを反対する声も多く、何人かの人は辞めていったという。それでも女将は「数人の理解がないという理由だけでは雇用を止めるわけにはいかない。彼らの出来るところを受け入れたいし、やっていけるのであればやっていきたい。」という気持ちを伝え続けた。今では、パートさんがフォローしてくれながら、それぞれのチームで仕事ができている。
旅館にはいろいろな仕事があるので、ある仕事ができなければ、適性をみながらその他の仕事ができるか色々試すことができる。雇用をスタートしたとき、汗水たらして一生懸命に床を拭いている障がい者を見て、もう一つ上のことができるのではないかと感じたそうだ。その想いは今も変わっていない。最初はトイレ掃除からスタートするが、シーズンオフになった時に、今までやったことがないセクションへ配置して、いろいろな仕事に挑戦してもらう。そこでスキルを磨き、出来る仕事を増やしていくようにしている。最初は本人が嫌と言っていた仕事も、出来る仕事をやっているうちに周りから評価され、自信がついたら出来るようになることも多い。また、手抜きが出る等などマンネリ化しないようにオフシーズンを有効に使っている。
例えば、布団のシーツ交換は2人1組で行う。そのときに先輩がやっているところを見せながら本人に指導する。パートさんはそれを見て、補足説明をするという役割である。できなければ、できるようにするにはどうすれば良いかを考える。メンバーの中には、左右が認識できていない人もいる。押入れに敷き布団と掛け布団を分けて片付ける際や、非常時に、左右どちらへ逃げるか分からないと困るので、朝礼の時に歌と踊りを入れて左右を覚えてもらうようにしている。できるようになるために、様々な工夫をし、家族の協力も得ながら成長に向けたサポートをしているのである。
ここを辞めた人は体調が悪くなったり、認知症がひどくなったりしたことが原因だった。女将は高齢になったメンバーをやめさせるのではなく、出来る限り働いてもらいたいと思っている。そのためには福祉のサポートも必要になる。女将が理事長をしているテンダーハウスという福祉事業所があるため、その人の状態に合わせて企業と福祉を比較的柔軟に行き来することができる。定期的に実習に行って、そのまま日昇館尚心亭へ就職した人も、ハッピーリタイアをしてテンダーハウスに行った人もいる。行き来がしやすいようにイベントを多く開催し、よく顔を合わせてコミュニケーションを取れるようにしているそうだ。障がい者の状態に合わせて、互いの組織が柔軟に対応できれば、ステップアップして働き始めることも、長く働き続けることも、ハッピーなリタイアも可能になる。
最初は知的障がいのある人とのコミュニケーションの方法が分からなかったので、履歴書を読んで、誕生日を見て、彼らを理解しようというスタンスで日々向き合ってきた。人それぞれの得手不得手を熟知しなければならない。彼らのことをよく見て、理解しようとしてきたため、家族が気づかない小さな異変にも気づき、怪我や病気が大事に至らなかったことが何度もあったそうだ。知的障がい者は自分の様子に気づくことが難しく、また、どう調子が悪いか伝達ができないため、その見極めを周囲がサポートしなければならないと女将が教えてくれた。彼らとの信頼は深く、事情があって辞めた人であっても今も連絡を取っていたり、時々遊びに来てくれたりしているそうだ。
日昇館尚心亭では、本人と会社と保護者(保護者会「翔会」)の関係をとても大切にしている。保護者との距離を縮めるために「日昇だより」を毎月末に発行し(たよりはNo.280以上続いている)、日帰りレクや年一回のお泊りレクに行くときは家族も誘い、腹を割った話もする。セミナーを開催し、生活面のフォローをしたり、親からサービス管理者へ生活サポートの一部を移行できるよう、グループホーム構想を進めたりしている(現在、女子のグループホームには2名の社員が入寮していて、2020年春、男子のグループホーム完成予定)。親に対しても女将が厳しく指導することもあるが、家族が困っているときは親身に相談に乗り、問題があったときにどのように工夫して乗り越えていくか協力し合ってきた。親が高齢化したときに、親が安心できるように、そして、本人は急には親元を離れて暮らすことは難しいので、グループホームを早く作って、入寮できるようにしたいとのこと。女将は長い時間をかけて家族とも向き合い、信頼関係を築いてきた。
「本人のセルフケア力:3.3」「現場のサポート力:3.3」「外部の支援力:3.3」
本来はすべてのところが同じ割合であってほしい。ここでは、テンダーハウスをはじめ支援機関があるので、何かあればフォローを受けられると思う。本人のところは保護者も同じくらいの割合であってほしいが、保護者によっては無関心な人もいるので難しいことも多い。会社は、それ以上がんばる気持ちでいきたいと思う。
令和4 年度
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