有限会社 中村ローソク

従業員数(パート含) 11人
障がい者数合計 1人
精神障がい 1人

 中村ローソクは明治20年に創業以来、和・京蝋燭を作り続けている。和・京蝋燭は長年、仏事に用いられてきたが、西洋ローソクの普及でその需要も少なくなってきた。西洋ローソクは原油系原料であるが、和・京蝋燭はすべて植物性の原料。環境に優しく、蝋燭を灯した時に出る液だれやすす、油煙が少ない。和・京蝋燭は、その独特の燃え方に特徴がある。蝋燭の芯は和紙に、い草の髄を巻き付けた燈芯と呼ばれるもので、それが空気の流れを作るため、風がなくても炎がゆっくり揺らめき、それが独特の雰囲気を醸し出している。また、植物性の原料のため、炎がほの暗いオレンジ色で温かみが感じられる。
 和・京蝋燭はすべて職人の手づくりであり、蝋燭の絵は蝋燭絵師が1本1本、筆で絵を描いている。1年半ほど前から、精神障がいのある浅野氏が絵師としてここで働いている。以前はフルタイムで働いていたが、本人が「他の仕事が向いているのでは」と考えるようになり、職業訓練校に通うことになった。その時も「土曜日だけでも1ヶ月に1回くらい来て描かないか?」と提案し、今では週3回5時間ずつ働くようになった。浅野氏の状態に合わせた働きやすい環境を本人と相談しながらつくってきたのは、「和蝋燭職人」「和繋ぎびと」であり、4代目である田川氏。もうすぐ2人目の精神障がい者を雇用する予定である。


「まずチャレンジしてみよう」


 浅野氏が絵師になったきっかけは、京都市が伝福連携(伝統産業と福祉)も一環でマッチング体験会というイベントを開催しており、「チャレンジで、まずやってみよう」となったのが始まりである。もともとプラモデルの組み立てのような細かい作用が得意で、手先が器用だったそうだ。蝋燭の絵付けは、小さいものだと1cm強の直径の蝋燭に1ミリにも満たない細い筆で丁寧に絵を書いていくという技術である。「今は同じ絵をずっと描き続けるのは大変ですね。細かい作業1個1個は嫌いではないです。やりはじめると集中は出来るんですけど、やろうとなるまでが大変」と浅野氏は話す。うつで社会不安障がいがあり、合っている仕事は何だろうと日々悩み、アルバイトをしながら生活してきた。うまく行っていないと感じた時、とても不安になって緊張し、作業ができず職場に居づらいと感じてしまうそうだ。「これからやっていけるのか。技術的に向上していくのか。10年後仕事はあるのか」という漠然とした不安に駆られる。そういう時に、相談できるところ、人がほしいと思っていて、そういうサポートがあればいいと思っているそうだ。
 ここでは田川氏が浅野氏の状態や気持ちを受け入れ、どうすれば働けるようになるのか、無理のない働き方のスタイルを見つけてきた。まだ、答えは見つかっていないが、田川氏もその時の状態によってこれからも一緒に働きやすい状態を見つけていきたいと思っている。
 浅野氏は絵付けをしながら「失敗してもチャレンジすること(が大切)ですね。失敗したときには考えないようにしていますね。自分の好きなことをやってます。少しずつ(不安になったときの)回復の仕方は分かってきた」と真剣に話をしてくれた。


個々の特性や強みを活かす


 ここでは従業員が45.5名以下のため、障がい者を雇用する義務は発生しない。では、田川氏はなぜ障がい者雇用をスタートさせたのだろうか。それは1つの出会いからだった。お父さんが交通事故で四肢麻痺になり、世話をするため病院へ通っている時に、同じような仲間が口で絵を描いている姿が目に入った。その時に「技術さえあれば出来る」と思い、長年、近くの福祉事業所やイベントで障がい者と関わりながら、一緒に働く人を探していたそうだ。そこに、京都市が企画したマッチングイベントがあり、伝統工業と福祉を繋ぐ「伝福連携」を広めるべきと考え、雇用がスタートした。
 田川氏は「若い時から何かに秀でている人が凄く好きなタイプ。尊敬する。浅野さんがすごい絵を描けるのに、絵を描かないとなったら、『えー!』って、心の底からもったいないと思う。一人前の職人になってもらいたい。最終的には本人が決める事だけど、こちらが妥協できるところは妥協したいと思った。この仕事というのは自宅でも出来る。うちに来て描くのが嫌だと思ったら、ろうそくを渡し、浅野さんが描いて、うちが受け取るということもできる。やっぱり『何ができるか』ですよ。できないから止めようではなくて、(本人が)できることを(こちらが)引っ張るだけ」と力強く話す。人の長けたところがあるなら、それを続けてもらいたい。応援したい。その得意なことが仕事になるのであれば、しっかりお給料を払っていきたい。そう純粋に思っているのだ。


柔軟であるための「あそび」をもつ


 今度雇用する精神障がい者も本人の要望を聞きながら進めているため、最初は月2回からのスタートだそうだ。そのときの様子に応じで、働けるようになったら増やしていければよいと考えている。「浅野さんの技術を見て、(彼の)やる気と技術を捨てるのはもったいないと思って、続けたらどうですか?日数が増えたり減ったりしても、うちは問題ない。いかにこちら(雇う側)が、『来られる分で(来てくれたら)いい』とすればいいんですよ」と話す。あとは採算が合うようにこちらで調整するのが私の仕事、と田川氏は言う。本人が働きたいと思っていて、その働ける形を企業側が調整して働けるようになれば良いだけ。そのために柔軟な働き方のスタイルにするのは当たり前のことだそうだ。しかし、障がい者雇用関連の制度は、柔軟な働き方への対応がほとんどできていない。様々な人が働くことをサポートするためには、それぞれの状態に応じて柔軟に対応できる制度も必要であると田川氏は話してくれた。


「ネットワークから縁が切れないように」


 同社の障がいのないスタッフと浅野氏との関係は良好だそうだ。雇用をスタートする当時、田川氏が「こういう人を雇用しようと思う」と説明はしたが、最終的な判断をするのは現場で一緒に働く絵師であった。浅野さんの場合、本人に絵を描いてもらって、絵師の2人がOKしたので雇用をスタートした。絵付けは、他の絵師と一緒やっていく仕事のため、反りが合う・合わないは絶対にある。そのため、決定は現場に任せている。現場では、喧嘩しているように見えて切磋琢磨している場合もあるので極力、口出しはしないそうだ。ただ、作業効率が下がったり、雰囲気が悪かったりするとネガティブに進んでいってしまうので、間に入って関係を調整するようにしているとのこと。
 それ以外にも「本人が長く働きつづけるためには、病院など最初から本人を支援するネットワークがあり、そこと縁が切れないようにすることが大切」と田川氏は話す。「病院にも通いながら、支援機関にも相談しながら働く。どこかにはけ口がないと本人もきつい。僕らは働いてるだけだから、(病気のこと等)分からない事があって。何かあった時に精神的にサポートしてもらいたい。サポートを切る事はやめてほしい」と。田川氏は、浅野氏の周りの人や支援機関との関係やつながりをとても大切に思い、それがしっかり続いて行くようにサポートしていた。
 「僕らはできることをしっかりやる」田川氏がインタビュー中に何度も言っていた言葉だ。自分たちができることは何か?そのためにどうしたらいいか?田川氏は常に考え、様々なことに挑戦している。その人の長けていることに興味と敬意をもち、それが活かせる職場、ひいては社会を目指して、できることを丁寧に行っているのである。


「本人のセルフケア力」「現場のサポート力」「外部の支援力」の理想的な割合


「本人のセルフケア力:2」「現場のサポート力:3」「外部の支援力:5」

外部の支援力には家族や支援機関が当てはまると思う。本人が気軽に話せるところ、相談できるところがあることが大切。本人は働きたいと思っているが、働いているうちに嫌だということもあると思う。そういった時に外部の支援力はとても大切。